もっと自由に頭柔らかくてもいいんじゃない?社会人の洋服の着方。
どうも、ふっちゃんです。
わたしは、高校を卒業してから、服飾の学校で2年間勉強をしました。その後も、スタイリストのアシスタントとして、ファッションが身近にある生活を送ってきました。
この記事では、ずっとわたしの身近にあった大好きなファッションですが、社会人になってからファッションとの関わり方で思うことがいろいろあるので、書いていきたいと思います。
目次
モチベーションが洋服だったわたしの、社会に出てからの違和感
わたしの働く上での、絶対条件は「服装自由」「髪型自由」です。
服飾学校に通っていた頃も、式典なども含め、普段から自由な服装をしていたし、スタイリストのアシスタントになるって進路も決めていたので就活でスーツを着ることもなかったし、スタイリストのアシスタントになってからも常にオシャレでいたいと思って自由に服を着ていたので、転職をしようってなったときに、仕事内容とか給与面とかよりも、まず服装面で引っかかりました。
ほんとに自由な服装をしていいよって言う会社は少なく、今まで自由な服装で勉強とか仕事をしてきたわたしは、違和感を覚えました。
洋服を毎朝選んで、着ていくことが日々のモチベーションだったわたしは、洋服に縛りが出てきてしまう生活なんて、考えただけで苦しかったです。
常識への疑問
スーツとか制服とか、決まった服装の方が楽だって思う人はたくさんいると思います。
でもその反対で、縛りなく自由な服装で働きたいと思う人も多いと思うんです。
就活でスーツをしっかりと着て、なるべく個性を殺して面接に望むって言う日本の風習も、TPOに合わせて洋服を着ましょうって言う風習も、学校での制服の着方や髪型に縛りがある風習も、その風習が当たり前になってる感じも、わたしにとっては違和感でいっぱいなのです。
日本の常識ってつまらないなって思う、22歳です。
そもそも、なんでこんな窮屈なんだろうって感じてならないのです。
服装のこといろいろ言う前にもっと大事なことってあるんじゃない?って思います。
もっと個性に溢れた、自由な世の中へ
TPO、確かに大事だと思います。冠婚葬祭とか式典とか。
しかし、TPOはTPOでも縛りが出来すぎてると思うのです。
仕事=スーツとか、スーツじゃなくてもいいけどオフィスカジュアルとか、、。日本の常識って頭が硬いなって思います。
本来、TPOとはTime(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字をとって、「時と場所、場合にあった方法」を意味する言葉です。
その会社の色があるって言ってしまえばそれまでなのですが、その色というのは今までの日本の常識で、今までに前ならえして出来てませんか?ってわたしは問いたいです。
みんなが自由な服装で生活しているっていうのが常識な世の中なら、もっと個性に溢れた日本になっているんじゃないかなって思います。
22歳、生意気にいろいろ言ってしまいましたが、これからの世の中がもっと窮屈じゃなく、生きやすい世の中になっていけばいいなって思います。
わたしはそんな世の中が実現できるように、発信を続けていきたいです。
夏ばっぱから学んだ、人との付き合い方。
どうも、ふっちゃんです。
日々暮らしていく中で、どうしても付いてきてしまうのは人間関係の悩み。
わたしも、人間関係それなりに悩んで青春時代を過ごしてきました。
しかし、わたしが高校生のときにやっていた朝ドラ「あまちゃん」での夏ばっぱの言っていたことがきっかけに人との付き合い方についての考え方が変わっていきました。
この記事では、わたしが夏ばっぱから学んだ、人との付き合い方について書いていこうと思います。
あくまでもわたしの考え方なんで、こんな考えもあるのかってくらいに思って読んでもらえると嬉しいです。
目次
とりあえず謝る。
わたしは、高校生で人間関係の悩みというものにぶつかりました。
小学校では人間関係の悩みとは無縁な生活を送り、中学校は論外で、周りに怯えて生活していたため人との関わりをシャットアウトしていました。
そんな学校生活を送っていたわたしは、高校に入ってからはじめて、友達と喧嘩みたいなものをするんですね。喧嘩といってもわたしは気が弱かったのもあって、相手が一方的に怒っててわたしがどうしようって悩むって感じなんですが、、笑。
その当時のわたしは、客観的にみてわたしが悪くないなって思うことでも、とりあえず謝ってました。謝る以外の方法がわからなかったんですね。友達との仲は崩したくないし、友達が離れていったらどうしようって思っていたので、自分が謝って解決するなら謝るよって考え方でした。
でも、これを続けていったわたしはだんだんと人間関係に疲れていきました。
「来る物は拒まず、去る者は追わずだ。」
そんな時、その当時入ってた朝ドラ「あまちゃん」に出てくる、夏ばっぱのセリフが妙に心に刺さります。(夏ばっぱはヒロインのおばあちゃんです。)
「来る物は拒まず、去る者は追わずだ。」
自分から締め出しはしないし、帰ってきたら黙って受け入れる。そんなことが、夏ばっぱとヒロインの母・春子とのやりとりで描かれていました。
このシーンを見たときに、自分の状況とは違ったけれど、しっくりくるものがありました。
私は小学校に入学した時に当時の担任の先生に、「クラスの子はみんな友達だよ」って言われました。良くも悪くも素直なわたしはこれまでずっと、みんな友達精神で人と付き合ってきました。
だから、友達との仲が崩れて離れていってしまうのを極端に恐れたんです。
でもこの言葉をきっかけに、別に無理して一緒にいる必要ないんじゃん?って思ったんです。
そりゃ育ってきた環境が違うんだから価値観が違うのは当たり前じゃん、みんな友達とか頭の中お花畑かよって思ったんです。
その代わり、離れて行ってしまった人でも、また一緒に居たいと思ってくれるのであれば、それはそれでオープンに受け入れよう、そして、今いる友達のことを今以上に大切にしていこうと思ったんです。
来る物は拒まず、去る者は追わず。夏ばっぱ精神です。
ドライって言ってしまえばそれまでだけれど、わたしはこう考えることで人との付き合い方が楽になりました。
小さな世界での話。
1つの組織の中で暮らしていると、そこが自分の中の世界になってしまって、その世界というのは小さいものなのにそこの中の人しか見えなくなってしまいがちです。
でも、その世界から一歩踏み出せば、価値観の似ている人だったり、自分のことを認めてくれる人だったりと、たくさんの人がいます。わたしは、社会に出てからこのことに気づきました。
そういう人たちがいるって思えば、わたしは来る物は拒まず、去る者は追わず。という考え方が貫けます。
まだ学校という組織の中の世界で生きてる人に特に伝えたいです。
学校だけが世界じゃないんだよと。今悩んでいることは、小さい世界の中での話なんだよと。
楽しいを自発的に。ふっちゃんのプロフィール。
どうもはじめまして、ふっちゃんです。
とにかくはじめなきゃはじまらんってことでノリと勢いではじめてみました。
まず、文章を書くこと自体がたどたどしい感じなのですが、暖かい目で見てもらえたら嬉しいです。
この記事では、わたしがどんな奴なのかっていうのを書いていきたいと思います。
目次
- 青い森の端っこに生まれる。
- 暗黒期。中学時代。
- 変わろうと思った。高校時代。
- なんでもあり。
- 無駄なことは1つもない。1つ1つの経験が全てわたしの肥やしとなっている。
- わたしが書くことに挑戦しようと思った理由。
青い森の端っこに生まれる。
家からコンビニまで歩いて1時間かかるくらいには田舎な地域に生まれました。
小学生の頃は野山を駆けずり回るような野生児で、今だと感じてしまう社会のストレスみたいものとは無縁な、ストレスフリーの毎日を送ってました。
小学生の頃はそんな田舎生まれならではの少人数制の学校で6年間を過ごしました。転校転入で人は増えたり減ったりしましたが、クラスメイト16人、同じメンバーで6年間を過ごしたので、集団になると生まれてしまう派閥みたいなものもない平和な小学時代でした。
とにかく楽しかった記憶しかない、そんな小学時代でした。
小学校の頃の思い出は、今でも私の宝物です。
暗黒期。中学時代。
そんなこんな、めちゃめちゃ平和な生活を送ってきたわたしですが、中学校ではじめて社会というものを知ります。
わたしの中学校は4つの小学校の子達が集まってできる学校でした。6年間16人という狭い世界しか知らないわたしは、少し大きくなった世界に投げ込まれて「あれ、友達ってどうやってつくるの?」ってなって友達を作りそびれます。
小学校低学年の頃ってみんな友達~みたいな感じで自然と友達が出来てたし、友達作るとかって意識してなかったから、中学上がってとても悩みました。
( 今思えば、悩みもなんもなかった小学校の頃の自分って最強だったな笑。)
周りに優しいね~って言われるような静かな子って言うとまだ聞こえはいいけど、中学の頃のわたしは自分の気持ちを押し殺して先生にもクラスメイトにも怯えていたなって思います。
ハッキリ言って、陰キャでした。
変わろうと思った。高校時代。
中学での失敗を教訓に、高校は中学の知り合いがなるべくいないところ(興味のある学科もこの高校だったのだけれども)に入学して、友達づくりも積極的に自分からいこうと、変わろうと努めました。
いわゆる、高校デビューってやつですね。
友達も普通に出来たし、陰キャではなくなったかなって思います笑。
しかし、中学で染みついてしまった性格とか考え方は中々消えないですね。自分が悪くなくても謝ってしまったり、なんでも同調してしまう癖がついてしまったり、、後遺症ですねまじで。
そんな性格を抱えながらも、高校3年間は楽しく終えられたかなって思います。
美術系の学科ってこともあって個性の強い面々のおかげで私が思い描いていた高校デビューとはちょっと違ったけれど、刺激ももらいつつ、自分の考えというのも段々と出来てきた気がします。
なんでもあり。
進学を機に地元の青森から上京したわたしは、服飾の専門学校に進学しました。
みなさんが、イメージするように服飾の学校って、個性爆発してる子達がたくさん集まっていて、今まで人の目を気にして生きてきたわたしは「あ、なんでもありなんだな」っていうのを肌で感じました。
気持ちがかなり楽になりました。
無駄なことは1つもない。1つ1つの経験が全てわたしの肥やしとなっている。
そして、わたしは社会人になるのですが、社会人1年目、スタイリストのアシスタントの事務所で働きます。
社会人1年目でフリーという世界を見て、大変なことはそりゃあるけども、自分のやりたいことを自分でやってる姿って、かっこいいなって思いました。
そんな刺激的な社会人1年目を過ごしたわたしは、やろうと思えばなんでも出来てしまうんじゃないかっていう謎の自信が湧いてきて、やりたいことはとりあえずやってみよう、うじうじ考える前に行動しようって考え方になっていきます。
やってみないとそれが自分には出来ることなのかも出来ないことなのかも分からないし、もしそれが自分には出来ない事なんだとしても、それを知るいいきっかけになったと思えば、やらないよりやってみる方が絶対にお得です。
アシスタントのお仕事は体力がもたなくて、たまに声がかかった時だけするっていう形には変わってしまったのだけれど、これからわたしがどんな働き方をしていきたいかっていう考え方が出来ました。社会人1年目の経験は全部無駄にはなっていないし、自分の肥やしになっていってるなって思います。
今のわたしの軸みたいなものは、東京という地に来て、環境が変わり、いろんな物を見て、聞いて、経験したことによってできました。
過去隠キャで頭の硬かったわたしが嘘みたいに、柔軟に楽観的に物事を考えることが出来るようになりました。
少しずつですが、自分の考えを人に話すのが楽しいって思えるようになりました。大きな成長です。
わたしが書くことに挑戦しようと思った理由。
今年社会人3年目になるのですが、これまでの経験から自分がこれからどんな生き方をしていきたいかという軸みたいなものができてきました。
めちゃめちゃ大雑把に言うと楽しく生きることが私の軸です。
社会人2年と少しの間に、わたしはフリーと会社勤務と両方の働き方をしました。その上で、わたしは働き方でいうと、場所を選ばない仕事をしたいと思うようになります。それを実現するにはどうすればいいのかということを真面目に考えていた時、ブログを書いてご飯を食べている人たちの存在を知ります。
洋服もすきなものを着て仕事したいし、友達と遊んだりご飯食べたりする時間もいっぱい欲しいし、もっといろいろなことを経験する時間がほしいし、なにより、自分の「好き」を我慢したくありません。
書くことってわたしの経験とか好きなこと自体がネタになるから「好き」と「仕事」が両立できるんじゃないかって思ったんです。
仕事は辛いけどそれでお給料もらえて自分の好きなことにお金使えるなら頑張って働くよっていうのも一つの考え方だし否定はしません。むしろ凄いなって思います。
それでもわたしはわがままなので、仕事ですら貪欲に楽しい時間にしていきたいのです。
あと、友達とかと会って話すと、今の現状に不満を抱えている子ってたくさんいて、世の中にもそういう子ってたくさんいるんじゃん?って思いました。何様だよって感じだけど、わたしの考え方とか体験談とかが誰かの励みになればなって思って書いていこうと思います。
はじめての文章でグダグダ感はありますが、思いの丈をぶつけました。
自分の思っている事がだんだんと頭の中で整理されて、「書く」っていいなと感じました。わたしってこんなこと考えてたんだっていういい発見にもなりました。
長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。